麻友子
About me
2005年に中国初渡航、2010年より中国一人旅を始め、短期長期含めおよそ50回ほど渡航を繰り返し2019年8月に四川省宜賓市移住。 転機は2018年夏、8年間勤めた会社を退職し叶えた、38日間中国周遊旅行。ビザのトラブルでしばらく四川省に滞在することになり、しかしその結果四川に恋をする。それまでは中国どの地域にも思いは平等だったが、もう四川以外考えられずに海を渡り、現在に至る。


 

日本のお盆休みが明け、四川省に暮らす私もいよいよ夏休みの終わりが見えてきた頃。今年の夏は成都でコロナ感染者が若干出ていたことと個人的な事情もあり、旅行に行くこともなく宜賓で大人しく過ごしていた夏でした。

……が、性格上やはりそうもいかなかったのです。

夏の終わりに駆け込みで旅したのは、宜賓お隣の都市、瀘州。宜賓から数え長江二番目の都市です。

実は瀘州へは二月にも訪れています。こちら「おいしい四川」でも白酒を紹介したのは、瀘州市古藺県の郎酒でした。

酒の都といえば、宜賓。酒の城といえば、瀘州。長江で繋がり並ぶこの二つの都市は食文化や習俗や歴史など重なる部分が多く、まるで姉妹兄弟のよう。なんといっても中国を代表する銘酒をこの並ぶ二都市が誇る点は大きな共通点、今回の瀘州への旅はまたもやこの白酒を巡る旅でした。

 

 

それは、瀘州老窖。名がすべてを表しています。

瀘州市街そのど真ん中に醸造所をもつこの酒造は、明代から使われ続けている歴史ある発酵土穴、「窖池」をもつ老舗。瀘州老窖は四川、いえ中国が世界に誇る白酒酒造であり、五糧液が宜賓を世界に知らしめたように、瀘州の名を国内外に広めたのはこのたった一つの酒造メーカーでした。

中国の宴席でも登場する頻度の高いお酒ですが、ぜひともその聖地へ足を運んでみたい。そう高ぶる気持ちを胸に瀘州を訪れた二月、しかし観光客向けに公開された市街地の醸造所は悲しいかな、なんと改修中だったのです。

というわけでリベンジを決めた今夏だったのでした。

 

 

瀘州市内にある白酒工場

瀘州老窖は瀘州市内の別工場に大規模な拠点を持ちますが、繁華街すぐそばに公開されているのは歩いてすぐに周れてしまうような狭い敷地、そこに巨大な工場棟がどんどんどんと並んでいるもののまるで公園のような面持ちで街風景に紛れています。

 

ところがその風貌に反し、ここで白酒を生み出している窖池は中国白酒の歴史に刻まれた無二のもの。その価値は国宝級といわれ、その通り国宝の老窖「国窖」と呼ばれる窖池がここにはあるのです。例えば百年に及ぶような歴史をもつ窖池を「老窖」と呼びますが、中国各地に老窖はあれど、「国窖」を名乗ってよいのはここだけ。ゆえにここを「中国第一窖」とも呼びます。

そんなものが、街路樹が立ち並び、商店に食堂にアパートが並び、路線バスが走るごく普通の生活風景のすぐそばにあるのですから、驚きです。

 

 

敷地内を歩いていると、巡回している警備員が目的の「国窖」の入口に案内してくれました。

中国醸造史に刻まれる歴史の長さを誇る醸造棟は、どかんどかんと目立って並ぶ巨大棟ではなく奥にひっそりと建つ7001号棟でした。中華の風格を感じさせる外壁のそばには、五つ並ぶ石碑。いずれも、ここが重要文化財として登録されたことを示すものです。

 

 

中に一歩踏み込んでみますと予想外に冷房のよく効いた棟内で、しかもきれいに整えられた通路には瀘州老窖の生み出した高級酒が整列と並び先まで展示されています。

さらに、二台建つのは瀘州老窖の歴史を示す電子時計。

瀘州老窖の伝統技術──今に至るまでにその歴史、698年14時間21分18秒。

1573国宝窖池群──今に至るまでにその歴史、449年14時間22分02秒。

秒単位までいきますとやや無理がありますが、それにしてもその歴史の長さだけは理解できます。

 

瀘州老窖のルーツは、1324年の元代にまで遡ります。

一代目にあたる郭懐玉が日本でいう麹にあたる「曲」を作り、そこから瀘州における白酒の歴史はスタートしました。

一方で瀘州老窖を象徴する1573年という数字は、ここ7001棟で今現在も白酒醸造に使われている「国窖」の年代を示すものです。実際にはこれより古い窖池は国内ほかにもあったのでしょうが、ただなかなか残っていません。私の暮らす宜賓にも五糧液が所有するさらに古い明代老窖が今も生きていますが、それも非常に希少価値の高いもの。一般には清代の老窖で「よくぞ残っている」といえるものなのです。

それを踏まえますと、1573年の窖池が現在も残りさらに現役で使われているのは、やはり国宝の価値に値するものといえます。

 

 

ガラス窓の向こうは、広大な範囲にわたって敷き詰められたようなこんもりとした方形の土山でした。中国各地で様々な白酒酒造を覗いてきましたが、しかしこれには圧倒されました。まさに、圧巻。これほどの規模の窖池の並びもそうですが、これらが1573年以来途切れることなく使われているのですから。

コーリャンをはじめ蒸された穀物原料は、土穴に詰められ土を被さられ発酵の過程を進みます。これらの土山の中には、瀘州老窖の中でもえり抜きの白酒の子供が誕生を待っているのです。

 

その秘訣はまずは、土穴それ自体。次に、土です。原料の発酵を進めるのは土穴に含まれた微生物であり、それは一朝一夕に生まれ得るものではありません。また長い長い歳月をかけて土の中で増殖した微生物によって構成された老窖はまさに唯一無二で、その再現を人の手によって生み出すことも叶いません。この国窖には、1573年以来増幅し続けた微生物が、およそ400種以上にも及んでいるそうです。

 

こうした老窖がなぜ貴重なものなのか、それは単に考古学視点や醸造の歴史だけから語られているものではありません。

なによりも、老窖は一度死んでしまったらもう二度と蘇ることはないのです。歳月を重ね増殖した微生物は一度死んでしまえばもうその再現は不可能、それゆえに、ここ瀘州老窖が明代万歴の1573年以来この窖池を使い続けているということ自体に、重要な意味があるのです。

今後これよりも古い老窖が土の下から発掘されたとしても、瀘州老窖の1573国窖群の存在価値にはまったく及ばないでしょう。

 

 

7001棟を出て、その向かいにはさらに巨大な醸造棟が三列に。そこから先は立ち入り禁止でしたが、それらもまた老窖、清代康煕年間、清代嘉慶年間の窖池を隠した工場棟です。

さて、帰ろうかという前に観光案内所に戻ってみました。無料でしたが入場時にチケットを発行しており、その際に試飲ができると聞いていたのです。

 

差し出してくれたのは、鼎状の小さな陶器。試飲させてくれたのは、1573国窖で生まれた原酒でした。度数は68度、確かに度数は高いですけれども、口の中に広がるのは苦痛を伴う刺激ではなく、じんわりと穏やかに広がる爽やかな風味でした。瀘州老窖が濃厚で芳醇な香りを楽しむ濃香型白酒のルーツであるといわれるのも納得です。実といいますと見学してきた展示物の中にはこの原酒と同じものがあり、そこには500ml一本で8888元(17万8千円)の値がついていました。私の財力では一生飲む機会もなかったことでしょう。無料で参観ができこのような体験までさせてくれるとは、嬉しいものです。

 

 

敷地内には少なくない警備員がいました。それもそのはず、ここにあるのは単なる企業機密だけではなく、決して失われてはいけない白酒醸造の極致。それを観光客向けに開発し、学びを得ることのできる展示館も豊富に用意されていました。

 

瀘州老窖、そこには世界無二の宝を守るという気概とともに、そうした白酒の歴史と文化を後世に繋げていこうという強い意思を感じます。宜賓の五糧液もしかり、綿竹の剣南春もしかり、企業としての発展のみに留まらず、その歴史の重さを背負い、またその都市の未来を担い、その姿勢には重なるものがあり、それもまた白酒文化の一つの側面といえます。そんなことを感じた見学の一日でした。

 

天然洞窟で白酒を貯蔵

しかしその充実した学びの機会のおかげで、本来はここで終わるはずだった瀘州老窖の旅に、もう一カ所目的地が加わってしまいました。展示物の中には瀘州老窖の必要不可欠な要素として貯蔵穴について記されていた箇所があったのですが、地形に恵まれた瀘州では天然洞窟がそれに使われていたというのです。

純陽洞、酔翁洞、龍泉洞。主にこの三か所が白酒貯蔵に使われてきたといいます。ひとつ、龍泉洞はここ国窖のある敷地内にあるようでしたが観光客立入禁止エリアのよう。ではもうひとつ、純陽洞は。これは地図で地名を目にしたことがありました。位置はここから長江を対岸に渡ってすぐ。というわけで行ってみることにしました。

 

 

ところが、途中でタクシーを降りて徒歩で進めばなんと封鎖されています。管理人がいましたので訊いてみましたところ、一般には非公開、企業研修などのみに公開しているとのこと。残念ですが、それほど重要なものであることの証明でもあります。

ここに入るには、撮影禁止どころか携帯電話の持ち込み禁止、火気厳禁は当然、さらに服装も指定されたものに統一しなければならないそうで、厳重な管理を感じます。確かに企業機密云々だけでなく高濃度のアルコールが洞窟内に詰められているのですから、危険性もあるでしょう。けれども、日光を浴びない窟内は気温も湿度も安定し白酒を寝かせるのには最適な環境、今も貯蔵庫としてここが使われているそうです。

 

仕方がないのでもと来た道を徒歩で戻っていくと、タクシーからは気づかなかった風景がありました。

歩いても、歩いても、廃墟。右も左も人気が全く失われた廃墟で、至る所に「取り壊し予定」「近寄るな危険」の文字。いずれも近代以前の建築を思わせるものでしたが、廃墟というよりもすでに崩壊している有様で、まるで失われた街。

そんな風景が歩いても歩いても続くので奇妙な感覚に襲われましたが、よくよく見てみれば中には瀘州老窖所有を示す標識を付けたものがあるのです。それはまるでかつての社宅かなにかのようでした。もしかしたら近代的都市発展を迎える前、この辺りは瀘州老窖の醸造にかかわる人たちで賑わった場所だったのかもしれません。

 

 

と、そんなことを考えながら歩いていると、またこんなものが。それは、先ほど入ること叶わなかった純陽洞とともに瀘州老窖の貯蔵に使われた洞窟のもう一つ、「酔翁洞」でした。

封鎖されてはいましたが、説明書きが掛かっていました。この天然洞窟はなんとその長さ8㎞にも及ぶ規模で、迷路の如く複雑な地形をしているそうです。いにしえに長江の漁師が使っていたものが日中戦争時には度重なる瀘州空爆を受け防空壕として利用され、そして新時代になり瀘州老窖の貯蔵庫として利用されるようになった。そう書かれており、扉の向こうにその姿が不明瞭なぶん、却って歴史の重みがそこに堆積しているような気がしました。

隙間から覗いてみればひんやりとした風が頬をくすぐり、酸っぱいような白酒の香りが運ばれてきます。

 

酒坊名:協泰祥、裕厚祥、永生祥(清代雍正年間、全国重点文物保護単位指定)

 

酒坊名:生発栄(清代咸豊年間、全国重点文物保護単位指定)

 

廃墟の並びは相変わらずでしたが、この先に一カ所二カ所と、瀘州老窖の醸造所を見つけました。それはすっかり街並みに溶け込んではいましたが、入り口にはそれぞれ、やはり文化財を示す石碑が建っており一目でそれとわかります。

廃墟群とは対照的に、それら醸造所だけは動いています。市内に現代設備の整った大規模な工場をもちながらも、またこうした発展から取り残されたような場所にあっても、小さな醸造所一つ一つがその歴史絶えることなく受け継がれていく、その頼もしい姿を見たような気がしました。

 

 

最後に

1573国窖を見学するだけのつもりが、予想外にもまたまた盛りだくさんな旅となってしまいました。旅はまさしく、縁。そしてその縁は人との縁だけとは限りません。

お酒好きな私も、白酒に夢中になり出したのはそう古い話ではありませんでした。中国での旅を通して味わう機会を得、また縁が縁を呼びふくらむほど、また白酒も好きになっていきました。私にとって、白酒は縁の象徴。出会いと別れの側にはいつも白酒が。

しかしその想いをここで語るには言葉が足りず、ただ、世界で無二の伝統を守り続けている酒造の一つである瀘州老窖に敬服の気持ちを込めて、今回の旅の綴りの最後といたしましょう。

 

瀘州老窖旅遊区

瀘州市江陽区一環路と三星路の交差点となり

開放時間:9時~12時、14時~17時半

入場料:無料

麻友子さんの過去記事はこちら

https://meiweisichuan.jp/author/mayuko

Twitter:https://twitter.com/mohumohumayu

 

 

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中川正道
中川正道、1978年島根県生まれ。四川師範大学にて留学。四年間四川省に滞在し、四川料理の魅力にはまる。2012年にドイツへ移住。0からWEBデザインを勉強し、フリーのデザイナーとしてドイツで起業。2017年に日本へ帰国。「人生の時を色どる体験をつくる」をテーマに妻の中川チカと時色 TOKiiRO 株式会社を設立。
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