About me
2005年に中国初渡航、2010年より中国一人旅を始め、短期長期含めおよそ50回ほど渡航を繰り返し2019年8月に四川省宜賓市移住。 転機は2018年夏、8年間勤めた会社を退職し叶えた、38日間中国周遊旅行。ビザのトラブルでしばらく四川省に滞在することになり、しかしその結果四川に恋をする。それまでは中国どの地域にも思いは平等だったが、もう四川以外考えられずに海を渡り、現在に至る。


 

「お茶を飲む時には貴賤も身分も関係ない。みんな、同じだよ。」

だから、お茶の種類はたった一種類の蓋つき茶だけ。価格は、成都にあり破格ともいえるわずか10元という安さ。人知れずひっそりとした古鎮の一角に過ぎなかった五年前も、SNSで人気を呼び観光客がカメラ手にして足を運ぶようになった今となっても、それは変わりません。

 

成都市双流区、彭鎮にある老茶館

ところは成都市双流区、彭鎮。その彭鎮大橋のそぐそばには、美しい瓦屋根の下に竹椅子をぎっしりと並べた老茶館たちがひしめき合っています。飯屋、鍛冶屋、商店などがそうした茶館の隙間を埋め、また老茶館だけでなく若者受けするラテや流行りのスイーツなどを扱うカフェも。その先をさらに進めば、やや落ち着いた古民居の路地にまるでアトリエのように独創的な茶室も散らばっています。

今や穴場というには知れ渡った古鎮、この賑わいの原点はその端っこ────ある一軒の老茶館にありました。

 

思えば2018年7月、私が初めてここを訪れた時にも大きな機材を持ち込んだカメラマンと一緒になりましたが、しかし周囲は一帯もう間もなく開発の波に飲まれ取り壊されるのではあるまいか、老朽化した家屋の家並みはそう予感させるかのように瓦屋根を傾けていたものでした。

そんな衰退の空気の中で奇妙なほどに活気に包まれていたのは、観音閣老茶館。すでに知る人ぞ知る穴場ではありましたが、その頃にはまだ観光客が足を運ぶほどの知名度はなく、歳を重ねた竹椅子に腰を鎮め煙管に煙をくゆらせているのはみな、地元のお年寄りたちだったのです。

 

 

観音閣老茶館の今

あれから五年が経ち今、あの情景がまるで嘘かのような変わりよう。久しぶりに足を運んでみれば、観音閣老茶館を取り囲むあの軒並みは取り壊されるどころか新たな命が芽吹いたかのように活気と喧騒に包まれていました。

 

観光地になって、地元の人たちは寛ぎの場を失ったのではないだろうか────そう問う私に、茶館の店主は静かに語ります。

 

「うちは朝5時から店を開けるから、地元民は朝来るんだ。それに観光地化だって悪くない。ここに暮らす人たちにも生活があるし、どうせ潤うならみんなで潤った方がいい。そうだろう?」

ならば、一杯たった10元のお茶で半日だって寛げてしまうお茶代を改めないのはなぜなのでしょうか。そんな私の疑問に、店主は「言うまでもない」というふうに答えるのです。

「貧しい人でもお金持ちでも味わえるのが四川のお茶だよ。あの席をご覧。例えばもし私たちが10元のお茶を飲み、彼らが200元のお茶を飲んでいるとしよう。そうしたらお互いバツが悪くて友達になれないじゃないか」

お茶を通して生まれる縁を大切にしたいという店主の想いが言葉に乗り、私の心に響きました。彭鎮に観光客の波を呼ぶ発端となったこの茶館は、でありながら一軒、今も昔も変わらぬまま。

 

 

「彼とはもう十年来の付き合いになるよ」

視線の先には、昔ながらの竈の上で湯気を上げるヤカンに手を伸ばす男性がいました。彼は茶碗洗い担当なのだそうで、お客が一組去ってはすばやく片付けていきます。

今日、私の相手となった茶碗にはあちらこちらに欠けが。それら一つひとつはこの茶館で繰り返されてきた時の流れと縁の交錯の証であり、欠けが少しずつ増えていきながらも大切にされているのは茶碗そのものだけでなくそうした記憶の痕跡なのかもしれません。

 

四川名物の耳かき職人

薄暗い室内に差し込む光、滑らかな凹凸を見せる土間。きしむ竹椅子、まばゆい豆電球。音を上げる扇風機に、各々の時を過ごす人々との一期一会。────その時。

────しゃらん、しゃらん。しゃらん、しゃらん。

巨大なピンセットのような面持ちを見せる音叉を鳴らしながら茶席を縫うのは、四川の茶席に欠かせない耳かき屋です。この音が耳に届いたら耳かきと、誰もが知る音の合図。というわけでお願いしてみることにしました。

 

 

竹椅子に腰かけたまま身を委ねます。絶妙な力加減は天にも昇る心地、しかし残念なことに実をいえば耳掃除をしたばかりでした。耳かき職人は「なんだ、ないじゃないか」と思ったに違いありません。

耳を掻いたあとはアルコールで湿らせた綿棒、梵天と七つ道具を駆使していき、耳奥は不可思議な感触に満ちていきます。そして仕上げに用いるのが、耳かき屋の合図でもあるあの音叉。U字を象る音叉を握り軽く音を立て、そこに生まれる振動を耳奥に伝えるのですが、このなんとも形容しがたい奇妙な心地は体験してみるしかありません。

 

 

この耳かき屋さんも観音閣老茶館の一員のようなもので、ここを訪れて三度、毎度ここで音叉を鳴らしている姿を目にしています。また彼だけではなく、水煙草に紙煙草を差し自己流で喫煙を披露する老人、民謡を歌う老人、そんな彼らも五年前と何も変わらずここに腰かけてはお客からの注目に喜び、と思えばそこを野草売りや棗売りが天秤棒を肩に掛けながら席の間を縫い歩きます。

「はい、どうぞ」

テーブルの上に載せられたのは新鮮な棗がひとつ。試食という体なのでしょうが、まるでサービス品のように全ての客に棗一粒が行き渡りました。店主を中心にして、この茶館に皆が集う。「どうせ潤うならみんなで潤った方がいいじゃないか」という言葉は単に利益の話だけではなく、心温まる人間模様がこの茶館にまた人の縁を呼んでいるのでした。

 

 

音叉の音が止み、暗がりの茶席から軽快なリズムが響き始めました。

────かかか、かんかん。かかか、かんかん。かかかかかか、かかかかんかん。

音につられその主を探してみれば、耳かき屋さんが一休みしているテーブルに同席しているのはおじいさんとおばあさん。三本の細長い板────四川金銭板を指に挟みながら軽やかな音を刻んでいるのが見えました。

 

回鍋肉って知ってる?

早速そのテーブルにお邪魔させてもらえば、唐突にこの一言。

「回鍋肉って知ってる?」

それはもちろん、知っているに決まっているではありませんか。日中でレシピは異なれど回鍋肉を知らない日本人はいないし、それに私は今この四川省に暮らしているのですから。どんな食堂にもあるこの料理を目にしない四川滞在というのもありえないでしょう。

「もちろん。それに麻婆豆腐や青椒肉絲も」

と私が答えれば、かぶせるように断言。

「四川料理といえば回鍋肉だ!」

 


八大菜系,各有风味儿

八大料理はそれぞれおいしいものだけど

 

没得哪个愿达,幺把干

でも最後の番になったってほしくない

 

依我看,回锅肉,最体份儿

私にいわせてみれば一番すばらしいのは回鍋肉

 

色、香、味、形,样样都能拿冠军儿

色に香りに味に見た目、どれも揃って優勝級

 

全世界,有很多,川菜馆儿

四川料理は世界各地に数多あり

 

老外都翘起,大指拇儿

外国でだってみな絶賛、すごいもの

 

先不说,东坡肉,芙蓉鸡片儿 也不说,豆瓣鱼,宫保鸡丁儿

東坡肉に芙蓉鶏片はさておいて、豆瓣魚に宮保鶏丁もとりあえず

 

我只说一样,啥,回锅肉卅,就够韵味儿

言いたいことはやっぱりこれだけ、味わい深いのは回鍋肉

 

想当初,迷倒了好多,mister,“回锅肉,OK,好吃,好看,beautiful!”

思えば虜になったミスターも多いし彼らは言うね

「回鍋肉、OK、うまい、素敵、ビューティフル!」

 

一个二个青口水流了,一下巴

よだれが流れて顎の下まで垂れていく

 

华西坝有个,国学巷儿,那里住了一位,李老板儿

華西壩は国学巷、コックの李さんという人がいて

 

他炒的那个回锅肉,嘿,更有板眼儿

彼の作る回鍋肉といったらもっともっとおいしいんだ

 

用的是,带皮肉,只要坐墩儿

用意するのは皮つき豚肉、外腿肉しか使わない

 

等煮到,六成熟,捞上菜板

六割茹でたらまな板へ

 

切成那,三指宽,五指长,连皮带肉见肥见瘦不薄不厚的,大片片儿

切り幅は指が三本、長さは指が五本ぶん

赤身と脂身、ほどよい厚さ、皮ごと切れば大きなスライス

 

倒下锅,要炒它,几个跟斗

鍋に入れたら一二三四、炒めながら振り上げて

 

要把它熬成,灯盏窝

火が通ったらくるんと丸く

 

再加入,甜酱,豆豉,郫县豆瓣

甜麺醤に豆鼓醤、豆板醤は郫県産を

 

红白酱油,适当地,放点点儿

あとは醤油にお酢を適量

 

几铲子揽出,甘香味儿

すくい上げればいい香り

 

这时候就该,放蒜苗

ニンニクの芽も忘れてはだめ

 

蒜苗头子要拍破,啪,切成斜码茬儿

根っこを潰してパン! そしたらそれを斜め切り

 

倒下锅就像,扎一个命斗儿

飛び込むように鍋に放って

 

铲起来要装,一大 斗碗儿

すくい上げたら大皿に

 

红、亮、鲜、朵,就像一朵花儿

赤みを帯びて艶やかで、美味が花咲く花びらみたい

 

肥而不腻,像吞凉粉

脂身だってくどくないし涼粉みたいに喉を下る

 

那个瘦肉,也不会,卡你的牙缝儿

赤身もそう、歯に挟まるなんてあり得ない

 

你要是,家住在,锣锅巷

もしもあなたが鑼鍋巷に住んだなら

 

那个香气sei,嘿嘿,一直要,飘到人民公园儿

あの匂いがさ、へへへ 人民公園にまで漂ってくるはず

 

文字起こし・四川方言指導:劉洋

翻訳:麻友子


 


金銭板を滑らかに、また軽やかにあやつりながら歌い奏でるのはその名も「回鍋肉」。ユニークな歌詞や表現には伝統的な情感とともに現代ならではの遊びが盛り込まれており、知らず知らずのうちに引き込まれていました。

 

 

「お茶は人生そのものだ。生きているなら楽しまないと」

そう語る店主、その彼を囲む人々、みなから滲み出る人生の味わいがこの茶館には満ちているようでした。

彼は四川を愛し、お茶を愛し、暮らしを愛する。私たちが今ノスタルジーと呼ぶひと昔前の情緒を愛しながら、時代の推移をもまた受け入れゆるりと生きている。現代人がスマホに見入り、若者がゲームや動画に傾倒するのを「それも時代変化だ」と見守り、でありながら失われゆく習慣や娯楽を守り続けている。この茶館はそんな店主の生きざまそのものといえるのかもしれません。

 

 

店主はおもむろに茶碗を持ち上げ、その蓋の裏を向こうにくいくいと泳がせました。

「これは相手に向けた『お帰り下さい』という無言の合図でね」

またその次は茶碗をテーブルに載せ、その蓋を受け皿に軽く添えるようにして置きました。

「これは店員に向けた『お湯を注いでください』という合図」

そして今度は、その蓋を茶碗と受け皿の間に挟むようにして立てました。これはなんと「お茶代はツケで頼みます」という意思表示、さらには茶碗の蓋や受け皿を椅子に置いて去るのにも「また戻ってきます」という意味があるそうです。

言葉を用いない言葉、四川の茶文化にこのようなものがあったとは────。

けれども今、このような習慣を知る者はずいぶんと減り、わかる店ももうほとんど存在しないのだといいます。とはいえ店主の教えで私がそれを学んだように、こうしてこの茶館は消えかけた文化習慣のともしびを細々と、しかし確かに、次の灯芯へと継いでいくのでしょう。

 

 

最後に

四川の茶文化は、私が四川に心奪われたきっかけでもあります。

五年前、思わぬトラブルで四川にしばらく滞在することになり、その始まりに訪れたのがここ観音閣老茶館でした。つまり私にとっては初めての四川茶席、それがこの場所だったのです。

 

あれからおよそ五年、もう数えることもできないほど四川各地の庶民集う茶席を巡ってきました。竹椅子に蓋つき茶碗の時があれば、プラスチック椅子にジョッキグラスで飲むお茶もありました。川沿いにずらりと並んだ茶館の列を見ることがあれば、路地裏に隠れる秘密基地のような店を見つけたこともありました。どんなところにも人の暮らしがあればそのそばには決まって茶席がある、それが四川の茶文化なのです。

 

これからまた、どんな茶席に出会うことでしょう。楽しみに思うそのこころはいつも、私が四川に魅入られた原点、観音閣老茶館のそばに。

 

 

~店舗情報~

観音閣老茶館

成都市双流区彭鎮馬市壩街62号

営業時間 5時~18時

蓋つき茶碗 10元、写真撮影(してもらう) 10元

 

 

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中川正道
中川正道、1978年島根県生まれ。四川師範大学にて留学。四年間四川省に滞在し、四川料理の魅力にはまる。2012年にドイツへ移住。0からWEBデザインを勉強し、フリーのデザイナーとしてドイツで起業。2017年に日本へ帰国。「人生の時を色どる体験をつくる」をテーマに妻の中川チカと時色 TOKiiRO 株式会社を設立。
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