世界一となった石刻大仏「八仙山大仏」を巡る旅、四川宜賓市屏山県にある龍華鎮へ

世界最大の石刻大仏

「最も古い」「最も長い」「最も速い」といったように「最も」が最も有効な宣伝文句となり得るはずが、なぜか知られずひっそりとした「世界最大」が四川南部の奥深い山中に隠れています。それは、宜賓市屏山県龍華鎮を見下ろした八仙山に立つ石刻大仏一座。

このたび遠路はるばる訪れる友人からの希望で、あるいは最も知名度の低いかもしれない「世界最大」を拝みにゆく運びとなりました。

時は端午節を目前にした五月の終わり。広州から高速鉄道で四川を目指すのは、『中国鉄道大全』（旅行人）や『大陸百鬼夜行』といった中国鉄道に特化した著作で知られる阿部正之氏です。阿部さんが屏山県に着くのは夜となるため、私は一人先乗りし屏山県の街並みを散策することにしました。

宜賓市屏山県龍華鎮へ

屏山県はそのほとんどが山林で占められており、県城区はそうした地理に都市開発された小さな街です。そのため古建築などは一切なく、いわゆる田舎でありながら現代的な街並みを見せるその風貌は、却って現代中国らしいともいえるでしょう。

緩やかな傾斜に築かれたマンションやアパートは、目の前を滔々と流れてゆく岷江を見送ります。そう、岷江といえば四川北西部の山岳を削り、世界遺産として観光客を呼ぶ都江堰や楽山大仏を流れ、そうしてやがて宜賓に泳ぎ着く長江の支流です。雄大な大地、悠久の歴史、連綿とつながれる人々の暮らしと絶え間ない変化を見せる開発、そうしたスケールの大きさを体感させてくれる大陸の大河が私は好きです。

包谷粑（バオグーバー）を食べながら

歩けばすぐに抜けてしまうこの小さな街にも、伝統の味をみつけました。丸くて黄色い肌をしたおやきのようなそれは、包谷粑と呼ばれるおやつ。包谷とはトウモロコシのことで、ならばこの黄色い肌はトウモロコシ粉からできているのでしょう。

実をいえば、包谷粑という名自体は四川南部に比較的よく見るおやつではあります。しかしそれらは葉で挟み蒸しあげた蒸しパン状であることが多く、少なくとも私にとってこの屏山包谷粑は初めての出会いでした。

油たっぷりの鉄鍋で焼かれたそれはずっしりとした食感で、中には豚肉餡が詰まっています。しかし他で味わうそれと全く異なる風味、と思えばその正体は宜賓特産である芽菜でした。芽菜とは青菜を紅糖や井塩などで漬け込み熟成させた発酵調味料で、塩味が効きこれがまた食欲を誘うのです。

緑茶、屏山明珠（芽茶）

屏山明珠（芽茶）

それからもう一つ、屏山に来て忘れてはならないのはお茶。

四川はもともと茶葉の産地ではありますが、日本で注目される四川の茶処といえば峨眉山や雅安ではないでしょうか。しかしなぜか日本ではあまり知られていないものの宜賓もまた四川を代表する茶葉の産地であり、その中でも屏山は屏山青炒（緑茶）などで知られた茶処なのです。

いざ龍華鎮へ

阿部さんと合流し翌朝、私たちは蛇行を繰り返す急勾配の山道を抜け、龍華鎮へと辿り着きました。

見渡す限り山々が続く山間ドライブの車窓は、茶畑。いざ龍華鎮の地に立っても、茶畑。四年前に私が一人ここへ来たときには、八仙山大仏へと続く登山道は民家と民家の隙間を抜けた先の茶畑にあり、農作業をする地元民の方々のそばを通りながら上を目指したものでした。

ところがこの度、到着して驚き。登山道の入り口は観光地さながら新たに建設され、通りの家屋も観光地様に姿を変えていたのです。茶畑の段々を作るあの苔むした石垣は、巨大な景区入口へ。記憶と現状の不一致に戸惑いながらの登山開始となりました。

とはいえ、やがて見覚えのある山中へ。頂上まで九つを数えるという観音石窟を一つ一つ目指しながら、ジグザグに高度を上げていく石階段を登っていきます。

阿部さんはといいますと実は入口の時点で早くも音を上げていて、「やっぱり帰る」と今にも言い出しかねない様子。そのような中、「うわ、上に道路が通っているじゃないですか」と背後から絶望的なつぶやきが届きました。どうやら地図アプリを眺めているようです。

実はそう、やや迂回するルートとはなりながら山頂までは車道が通っており、大仏のそばまで車で近づくこともできたのです。ところが私には端から「頭上にショートカットする」という発想がなく、すっかり失念していたのでした。今にも倒れそうな阿部さんの姿に合わす顔もなく、そのつぶやきを無視するしかありません。

山肌に掘られた八仙山大仏

ともあれ、紅色砂岩を削り出した階段を越え九つ目の観音石窟を数えたのは、入山してから一時間半後のことでした。四年前には古びた小屋が立つのみだったそこには真新しい寺院が建てられ、草生していたあの大仏像は今、きれいさっぱり整えられています。たしかに四年という歳月は、これだけの変化をもたらすのに十分な長さといえるかもしれません。

八仙山大仏は、眼下に広がる風景から身体を隠すように立っていました。山肌に彫られた巨大な石窟仏というものは一般に、街や村落や大河などを見守るかのように見晴らしと対峙したものが多いように思います。そのような角度から見れば、この八仙山大仏はやや異色といえるでしょう。山の麓から八仙山を見上げたとしてもその存在は視認できず、大仏に向き合うまではその姿をちらりとも目にすることはできないのです。

ではこの石刻大仏の、いったいどこが「世界最大」だというのでしょうか。

それは高さです────と説明しても、多くの人は腑に落ちないかもしれません。というのも、八仙山大仏の高さは仏龕底部から測り32メートル。たしかに巨大には違いありませんが、一見して世界最大という言葉ほどの印象は感じないのです。

楽山大仏（2021年）

たとえば屏山県から岷江を遡った楽山大仏は、座像でありながらも71メートルもの高さをもつのです。それならば八仙山大仏の高さがいったい何において世界最大なのかといえば、それは近代以前に生み出された石刻大仏立像として世界最大、あくまで立像としての比較というわけです。しかしながら座像である楽山大仏の高さ半分にも及ばないのですから、これまで仏教石窟や仏像を様々に目にしてきた人ほど不可思議な印象を抱くかもしれません。

とはいえ、この八仙山大仏立像も24年前までは「世界最大」の呼称をもちませんでした。アフガニスタンのバーミヤン石窟群にかつて存在したさらなる高さの立像が、タリバン政権により爆破されるまでは。

意図的に破壊された大仏立像2座の高さはそれぞれ55メートル、38メートルであり、しかし立像として世界最大の高さであったという数字上の順位よりもまず、歴史遺産であり宗教芸術であり、またそこに暮らす人々のふるさとであり、砕かれたものは単なる史跡そのものだけではなかったはずです。

そうした背景の下に意図せず突如「世界最大」の名がついた八仙山大仏立像は、高さ自慢をするつもりがなくともその肩書を負うことになりました。そう見ますと石刻仏像それ自体には関連がないとはいえ、同じ人類が犯した重大な過ちと同じ人類が抱える悔やみや悲しみ、そうしたものを象徴として背負った「世界最大」といえるかもしれません。

ところで仏像というよりも壁画かのように浅く彫られた八仙山大仏のお姿は、やはり他に見る石刻大仏とは異なる印象を覚えます。その平面的な風貌のみならず、脆い紅色砂岩が見せるやや鮮明な色彩、それに加え、この仏さまにはなぜか膝下が描かれてはいないのです。またこれについて記した文字資料がないために、どのような経緯で制作されたのかもわかっていない。ただ測定調査により、明代に開削されたものではないかと推定されているのだそうです。

奇しくも「世界最大」の名を得ることになりながら、その肩書に反してそう巨大には感じられない不可思議な仏像。それは詳細不明の謎多き仏像でもあり、また住民の期待に反して知名度は未だ上がらず訪れる人もほとんどいない奇妙な仏像。

そのような石刻仏像が、茶畑の海が広がる深山に隠れていたのでした。

古い町並みの龍華鎮

八仙山の足元にこぢんまりとした龍華鎮は、古建築群を留めながらそれを取り囲むように現代生活を送っています。大仏を拝んだあとは、ぜひ少しお邪魔して散策したいものです。

しかしそうはいうものの、ほとんどの明清建築はあいかわらず人の手を離れたまま静まり返っていました。中には10度、20度と激しい傾斜を見せ倒壊の危機にあるもの、内部が手のつけようもないほど荒れたものも少なくありません。

古鎮といえばどこも少なからず観光地化されている昨今ですが、「世界最大」がそばにありながら訪れる人は非常に少なく、修繕して古鎮内に店舗を構えても商売が成り立ちようもないのが龍華の現状なのです。このままいけば、ただ朽ちてゆき倒壊を待つだけでしょう。

とはいえ八仙山登山道入口が観光客向けに建設されたということは、観光客の来訪を期待しているはず。ならば本来は望ましくない順位繰り上げだったとしても、この「世界最大」を看板にもう少し知名度を上げていきたいものです。

帰路、山々を縫うように下っていく岷江はたいへん美しく目に映りました。

このような山中にも今では高速道路が通り、また現地の方も高速道路で戻ることを勧めてくださいましたが、私が特にリクエストせずにいると屏山県城から呼び寄せた運転手さんは下道を選びました。往路は屏山県を経由しましたが、復路は宜賓市へ直接戻ります。くねくねと蛇行を繰り返し、茶畑を見下ろし、谷を抜けて────。

「俺の運転、うまいだろう！４0年はやっているからな！」

龍華鎮を発ち3時間ほど経ったでしょうか。運転手さんが誇らしげにそう口にして間もなく、暗がりの向こうから煌びやかな街の明かりが姿を現しました。