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春節は楽山で過ごし、瀘州を旅する
まだまだ冷え込む厳しい冬のさなかとはいえ、新春という言葉の通り冬の峠を越え、春に向けて季節は一歩一歩進んでいます。
春節を迎え、街はやがて徐々に日常モードへ。私はというと春節は楽山で過ごし、ただいま宜賓のお隣の都市、瀘州を旅しております。その瀘州もまもなく発つ予定ですから、このレポートが上がる頃にはきっと新しい街で遊んでいることでしょう。
瀘州は宜賓の東隣、北東に重慶市、東に貴州省と接した位置にあり、宜賓から流れゆく長江は、この瀘州を通り重慶に流れていきます。かつては、水運によって宜賓や重慶とも深いつながりをもっていました。現在は一地方都市に甘んじているとはいえ、近代の中国西南地方において発展に大きな貢献をした街。興味深い文化や歴史や風景の数々が、旅人を誘惑する街です。
郎酒の産地「瀘州市古藺県」へ
そんな瀘州でのある日、私は瀘州市中心部から思い切って遠出をし、市南東部の端に位置する古藺県太平鎮へ行ってきました。
瀘州市市区からおよそ200㎞。まだ夜も明けないうちに出発し、長距離バスはぐねぐねとした山を走り。太平鎮へ到着したのはお昼前でした。
急な傾斜に密集するのは保存状態のよい古建築群、細い石階段が急勾配を迷路のように繋いでいます。観光客はほぼおらず、そこに暮らす住人が行き来するだけ。多くの民居は戸を閉ざしていましたが寂しい気配はせず、どの建物も傾斜に建つゆえか、他の四川古鎮で見るような建築様式とは異なる独特の様式を目と足で楽しませてくれました。
革命の舞台、太平鎮の赤水河
太平鎮は、四川省と貴州省の省境界の一部分を流れる、赤水河の南岸に瓦屋根を広げている集落です。赤水河は東から西にくだった後、西から流れくる古藺河を太平鎮で飲み込み、そこで水流を北に変え貴州省に入り、やがてふたたび瀘州市に入ったあと合江県で長江に合流します。私がここ太平鎮を知ったのは、実をいうと美しい古建築群よりもこの赤水河の存在でした。
赤水河といえば、四渡赤水です。
遵義会議により毛沢東主導となった紅軍は国民党軍との攻防のなか、1935年1月から3月にかけて赤水河を四度に亘り往来しました。ここ太平鎮は、その四度のうち二度目と四度目の舞台となった場所。
紅軍中央軍は当初、宜賓と瀘州の間を流れる長江を渡り四川を北上する計画を立てたようです。しかし実行困難と判断し赤水河を介して貴州から四川へ、また雲南へ、この出入りを繰り返し、最終的には赤水河を捨て貴州から雲南を通り、紅軍中央軍における長征ルートは四川西部の難関を南から北へ上る厳しいコースをとることになりました。
当初四川入りへの要の場所として選ばれた赤水河は、こうした迷走の果てに最終的な勝利がもたらされたそのスタート地点として、革命の歴史の中でもとりわけ象徴的な色合いをもっているのです。美しい瓦建築の連なりと入り組む石階段は、その風情の中に激動の歴史を今に伝える足跡を、随所に残していました。
それにしても遠い道のりでした。ところが私はなんということか、翌日もこの遠路を通いここまでやってきたのです。
二郎鎮の白酒メーカー「古藺郎酒廠」
次の目的は、同じく四渡赤水で太平と同時に作戦に選ばれた場所、二郎鎮。
二郎鎮は、太平鎮から赤水河を東に18㎞遡った位置にある集落です。しかし、そうした歴史ももちろん重要でしたが、次なる目的は歴史よりもこちらでした。
古藺郎酒廠という酒造メーカーの名までは知らなくとも、こちらの郎酒ならば知っているという方も多いのではないでしょうか。
四川省でどこに行ってもどんな飲食店でも、白酒の小瓶を置くならばたいてい出会うブランドが三種あります。
一つは、中国を代表する五糧液の出す歪嘴。一つは、重慶メーカーの江小白。そしてもう一つがこの、郎酒です。
どんな飲食店にも、手軽に飲める安価白酒としてこの三種か、あるいは二種ぐらいは置いてあります。日本の居酒屋でいえば、キリン、アサヒ、サッポロのような感覚でしょうか。
度数が低く飲みやすい口当たりと受けやすいデザインで白酒離れのする若者の支持を得た江小白は、日本でも知られてきています。しかし定番三種の中ではやや異質。やはり、白酒の強い飲み応えを味わうならば歪嘴か郎酒……と、私は勝手に考えています。
前置きが長くなりましたが、この郎酒が生まれたのが、いえ今も生まれ続けているのが、この二郎鎮というわけなのです。
郎酒の聖地「四川郎酒集団」の工場
二郎鎮は、太平鎮とは比べ物にならないほど険しい地形にありました。深い峡谷、むき出しの激しい地層、それはあの難所として有名な四川北部の剣門関をいくつも並べたような。
そんな場所に狭いながらも小さく展開する街の中に見つけた、郎酒の聖地。
街中に血管のように張り巡らされたパイプ、充満する酸っぱい醸造の香り、屋根のすきまから上がる蒸気、それは間違いなく白酒の工場でした。外から伺えば、清代建築と思われる古いレンガ造りの工場部分も生きており、それに近代、現代の工場が入り混じって現役で使われています。
しかし四川で身近に飲まれる安価な白酒市場で、独占といわずともかなりのシェアを誇るあの郎酒が、まさかこんな僻地でこんな小さな場所で生み出されているとは思いもよりませんでした。
赤水河を挟んで対岸は、貴州省遵義市習水県。目を疑うようなこの景観。
激しい断崖絶壁の上にこのような限界的な環境をものともせず動くのは、こちらも名の知られる習酒の工場です。この工場の規模には驚きました。まるで一つの街のようです。
この「酒の街」のすぐそばには、こちらもまたとんでもない高さに建つ習酒文化城なる建物。博物館かなにかでしょうか。おそらく裏には道路が通っているのでしょうが、凄まじい階段がまず目に入り、いくら酒好きの私といえども遊びにいく意欲も湧きません。
このエリアは中国を代表する白酒の聖地
郎酒と習酒、二つの銘酒が激しい様相を見せる赤水河を挟み対峙しているのです。……と思えば、それだけではありません。ここから赤水河を南に50㎞遡れば、そこには五糧液と並び称されるあの茅台もあります。茅台もまた四渡赤水の舞台であり、あちらは三度目に赤水河を渡る際に選ばれた場所でした。
また茅台だけではありません。古藺から二郎へ向かう山道には、周囲の景観からはおよそ浮いたような白酒工場を一つ二つと通り過ぎてきました。
酒城と呼ばれる瀘州市中心部には、国窖の称号をもつ瀘州老窖があります。世界に知られる五糧液はお隣の都市、酒都と称される宜賓市です。このように大雑把に見ますと、宜賓市から瀘州市にかけての長江流域と加えてその支流にあたる赤水河流域は、まさしく中国を代表する白酒の聖地といえはしないでしょうか。
二郎鎮でお土産の白酒を買う
興奮を抑えながら、小さな二郎鎮のお店の並びから一軒を選び、お土産を買っていくことにしました。
中では店主とその仲間と思われる親父たちがおしゃべりしているところで、五糧液の宜賓からやってきた日本人だと知ると、大歓迎。
「いつも一人で白酒を愛飲している。アルコールは駅の安全検査でひっかかるので二三日で飲みきる白酒を買いたい」
そう言いながらも大きなボトルばかりを物色しているというのに、驚くことなく当たり前のように「これなんかどう?」などと次々に声がかかるところは、さすが白酒の地です。
酒造に囲まれた場所、置かれている白酒は郎酒だけに頼ることなく、茅台を始め様々な酒造のものが置かれていました。しかし、常日頃から郎酒にはお世話になっていますから、やはりここは郎酒を買っていきたいものです。
価格は上を見れば1000元を超すものもありましたが、私が買えるのは低価格帯のものだけ。最後は醤香型にするか濃香型にするかで迷いましたがユニークなデザインに惹かれ、醤香型でかつ安い右の商品に決めました。
さて、ここからまた長い道のりです。
往路に乗ってきた瀘州から二郎への直通バスは一日一便のため、帰りはもうありません。この後は一度古藺を経由して戻ることになりますが、その時間も怪しくなってきました。山奥深いとはいえ、なんとここには古藺とを結ぶ路線バスがあるのです。それで戻ることはできますが、しかし途中にバス停が81駅もありとんでもなく時間がかかってしまいます。
そこで捉まえたのが、バイクタクシーの男性。少々出費にはなりますが、バイクドライブも楽しいものです。
激しい峡谷を眺めながら、村を越え、また越え。鋭い岩肌の下をくぐり、赤水河、そして古藺河の向こうに広がる貴州省を右手にえんえん眺めながら。
こうしてバイクの後ろに乗ること、一時間半。けれども楽しかったのも初めだけ。瀘州へ戻る最終バスには間に合うことができましたが、飛ばすバイクに指はかじかみ身体は芯から冷え切り、心はもう折れる寸前でした。
火鍋の発祥は瀘州だった説
瀘州中心部に着き真っ先に向かったのは古いアパートに挟まれた、古き良き時代を思い起こすような小さな火鍋店。見上げれば暗闇の中に浮かび上がる部屋の灯り。店の内にも外にもテーブルが並び、ひっきりなしにお客さんが入っていきます。
真っ赤なスープが毒々しい麻辣の火鍋。その発祥はここ瀘州だったといわれています。肉体労働者が活力を得ていた火鍋はやがて長江を伝い重慶に渡り、そこから全国に広まりました。
今ある平穏や利便の多くはかつて身を粉にして汗水流した人々の努力の先にあるもので、いわば私たちは過去の人々から恩恵を受けているといえます。火鍋を食べるとそんなかつての知らない人々の知らない生活や毎日を想像してしまうのですが、このようにノスタルジー溢れるお店は、そんな想像を後押しするような情景そのものです。
牛油が重厚な重慶火鍋。辛さは最も強い特辣で、鮮切牛肉、鴨腸、鴨血、毛肚などを注文しました。年季の入った銅鍋や竹を割いたお箸もまた、美味しさを倍増させます。気がつけば上着を脱ぐほどポカポカに。バイクドライブで折れていた心は、折れていたこともわからないほど見事に復活しました。
もちろん、火鍋のお供は二郎鎮で購入した郎酒。飲んでみると、いつもの20元郎酒とは全く異なる、複雑な風味が絡み合った飲み応え。
五糧液の地に暮らす私はもちろん五糧液推しですが、実をいうと日頃もっとも飲むことが多いのは郎酒なのです。
────改めて、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
~店舗情報~
1号碼頭老火鍋
瀘州市江陽区連江路一段 バス停枇杷溝の対面
営業時間 17時半~23時
牛油鍋底 26元、毛肚 20元、鴨腸 20元、鴨血 8元、鮮切牛肉 28元
その他、瀘州の料理はこちら
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中川正道、1978年島根県生まれ。四川師範大学にて留学。四年間四川省に滞在し、四川料理の魅力にはまる。2012年にドイツへ移住。0からWEBデザインを勉強し、フリーのデザイナーとしてドイツで起業。2017年に日本へ帰国。「人生の時を色どる体験をつくる」をテーマに妻の中川チカと時色 TOKiiRO 株式会社を設立。
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