About me
2005年に中国初渡航、2010年より中国一人旅を始め、短期長期含めおよそ50回ほど渡航を繰り返し2019年8月に四川省宜賓市移住。 転機は2018年夏、8年間勤めた会社を退職し叶えた、38日間中国周遊旅行。ビザのトラブルでしばらく四川省に滞在することになり、しかしその結果四川に恋をする。それまでは中国どの地域にも思いは平等だったが、もう四川以外考えられずに海を渡り、現在に至る。


宜賓郊外にある五糧液

青海省の高峰から生まれた清らかな一滴は遥々旅をして3496㎞、金沙江は四川省宜賓で北から交わる岷江を飲み込み長江へと名を変えます。その間もなく長江にならんとする岷江の北岸にのびるのは五糧液路。まっすぐにのびる大通りには左右にトロフィーを模したモニュメントがずらりと続き、それらには過去の受賞歴が刻まれています。

やがて栄光を誇る通りの先に見えてきたのは、巨大なエンブレム。五糧液が掲げるそのWの文字は巨大云々を通り越した圧倒的な迫力をもち、もはや一企業の象徴を超え、まるで国威を表しているかのようでした。

 

 

このWは五糧液(wǔ liáng yè)の頭文字を表しています。

 

中国国内第二位!売上高662.09億元(1兆2990億円)

五糧液といえば、2021年には売上高662.09億元、中国白酒メーカーの中では茅台に次ぐ国内二位の位置を駆けている老舗酒造です。宴会の華としてよく知られ乾杯に用いられることが多いことから、日本でもよく知られているのではないでしょうか。すでに中国の域を超え世界的酒造となった五糧液は長江のほとりでその成長育まれ、小さな酒坊からこのような巨大企業にまで変貌しました。

 

この迫力すさまじいW門を一歩越せば、そこはもう五糧液の工場。一般車両の通行には事前の登録が必要ですが、基本的には誰でも敷地内に入ることができます。

観光客に醸造の様子や展示を公開している四川の白酒メーカーとしては瀘州老窖、剣南春、水井坊などがありますが、いずれも観光客向けに整備されたもの。しかしここ五糧液にあっては、醸造の核となるメインの工場敷地を出入り自由にしているのですから堂々たるものです。

 

 

巨大な五糧液工場を散策、酒聖山へ

時刻はちょうどお昼時。大迫力を見せる近代的外観のオフィス棟を越せば時代を感じる風貌の醸造棟が肩を並べ、もくもくと湯気を上げる建屋からぞくぞくと作業員が姿を見せ始めました。

敷地内は一部区域を除き自由に歩き回ることができますが、建物の内部は立ち入り不可で撮影も禁止です。けれども覗き見える製造の一場面一場面は伝統的製法を目で学ぶには十分で、現代の利器が取り入れられながらも、その工程一つひとつが今も人の手によって行われていることを知ります。

山になった穀物の山をシャベルで均す人。材料を掛けた天秤棒を肩に乗せ運ぶ人。作業棟にはそれぞれ給湯器が備えられ、そこには湯呑カップが並びお茶が休憩を待っています。そんな一つひとつを眺めながらの散策は、不思議と街並み歩きに通ずる人情味を感じるものでした。

 

 

しかし、それにしても広大な敷地です。五糧液工場を観光する場合、その広さゆえに自家用車で乗り入れるのが一般的ですが、この日の私は徒歩で進入していました。大きな道路、信号機、道路標識、宿舎、銀行、旅行社、医療窓口、保安隊、消防署、公衆トイレに自動販売機……、工場を歩いているというよりも、どこかの街にいるかのような感覚。

そう、それに敷地内をバスが走ってもいるのです。各所に市街地と変わらないようなバス停があり、五糧液バスが運行されています。この工場エリアだけでも8㎢もの広さがあるため、バスやバイクがなければ移動も難しいでしょう。

 

 

とはいえ、私は歩きました。3㎞歩いたか、4㎞歩いたか。この五糧液工場には観光客が向かう定番のコースがありまして、コロナウイルス管理により封鎖されているものもありましたが、そのうちの一つである酒聖山に登ってみたのです。

 

ここからの眺めは必見で、ずらりと並ぶ工場棟の先に霞ながら広がる街並みの重なりには、宜賓というこの街の色合いがよく表れているように思います。

五糧液は現在、年間10tもの生産能力を有しますが、目の前に広がるこれらの工場棟から生まれるのはそのうちの4t。そんな大企業の中枢をごくありふれた街並みが取り囲み、すぐそばで活気ある庶民生活が営まれているのです。

しかし実をいえば、あちらに広がる街並みも五糧液宿舎だったり、またその向こうにはこちらとはまた別の工場敷地が続き今も建設が進められていたり、岷江両岸はいわばまるまる五糧液のふるさと。この工場敷地はその広さから十里酒城と呼ばれていますが、酒の城は言い得て妙ながら、この地における五糧液の存在はとうに十里を超えた重みと大きさをもっているといっていいでしょう。

 

宜賓を支える五糧液

 

宜賓、この街を支えているのは五糧液だといってしまっても過言ではありません。

空港には五糧液の名がつき、鉄道駅にはWの文字を配した巨大なモニュメントが立っています。大学機関と提携し醸造の研究を行い、酒文化博物館の建設が進められています。街中の至る所に五糧液を表す飾りや広告を見、街のどこにいても五糧液を目にしないところはないというほどです。

 

またお隣の都市、自貢市で毎年開催されるランタン祭の昨年の催しでは、五糧液が展示コーナー一カ所をまるまる使うといった不動の力を見せつけるものでした。そのランタンは五糧液の酒瓶を積み上げたもので遠くから眺めてもたいへん美しく、展示会場の一角を占め視線を集めたその規模に圧倒的な財力を感じたのを今でも覚えています。

 

四川省の端に位置する小さな一地方都市でありながら、宜賓のここ二、三年の発展は目にも明らかな勢いを見せています。それを支えているものの一つ、しかも大きな力が五糧液であることは間違いがないでしょう。

 

 

始まりは小さな酒坊から

しかし、今そんな巨大企業となった酒造もその原点は一つひとつの小さな酒坊でした。

宜賓における酒の歴史は古く、765年には杜甫が「宴戎州楊使君東楼」という詩を詠み、酒でもてなされた様子を表したそうです。戎州は宜賓の旧名、酒を愛した杜甫はいま酒の都と呼ばれるこの街を訪れて、ここでも美酒を味わったのでした。

その酒は複数の穀物を用い作られたものだったといわれており、北宋時代にはそれに改良が加えられ、コーリャン、米、糯米、蕎麦、粟、この五種の穀物を用いた姚子雪麹という酒が生まれました。それが、いわば五糧液のルーツとなるものです。

 

姚子雪麹は明代を迎え姚氏から陳氏に受け継がれ、やがて宜賓の一角、岷江の南岸に今も残る酒坊の一つでコーリャン、米、糯米、小麦、トウモロコシの五種で醸造されるようになりました。そして時代は代わり1909年、とある社交場でその味わいが評価され、この美酒は五種の穀物、つまり五糧が生む玉液でありながらそれを名としないのはなぜかと喝采を受け、五糧液という名が生まれたそうです。

 

 

五糧液が企業となったのは1952年のことでした。岷江南岸、つまり現在五糧液の広大な工場敷地が広がるその対岸に集まる八カ所の酒坊が連合し、国営の酒造メーカーに。1959年には五糧液酒廠と五糧液の名が企業名となり、躍進を始めました。

そうして今、十里酒城と呼ばれる広大な工場敷地に留まることなくさらなる規模拡大を進めるさなかにあり、この巨大老舗酒造は勢い止みません。

 

30年以上の熟練の職人しか入れない酒坊

一方で、当時生産の拠点だった八つの酒坊は明清代の窖池(発酵穴)を受け継いだ価値の高いもので、市街地に紛れながら今も醸造を行っています。その中には五糧液において最高級に位置する「501五糧液」を生み出す長発昇酒坊や利川永酒坊なども含まれていますが、そこには30年以上の経験を重ねた熟練の職人しか立ち入ることが許されません。

501車間(醸造棟)で年501本しか生産されない「501五糧液」は500ml瓶で小売価格は5000元以上、五糧液が歩んできた歴史の珠玉がそうした酒坊から今も生み出されているのです。いにしえより技術を継承し守り続け、一方で時代変化を受け入れ発展を進める。五糧液が多くの人々に愛されるのは、そうした信念が形を成しているからではないでしょうか。

 

 

工場散策を終え、大門の近くにある直営店を覗いてみると。そこには一般的なお店では決して目にできないような超高級白酒から稀少なボトルがたくさん並び、ついつい目移りしてしまいます。

けれども、私にも買うことができるようなものがない。ということで、岷江を越え長江のほとりに建つ五糧液体験館まで足を運ぶことにしました。

 

そこは岷江が金沙江に合流する長江の出発点。かつて賑わった埠頭の街並みが名残を見せる四合院造りの並びを、雰囲気よくリノベーションした界隈です。

五糧液体験館はその中の一軒。四合院造りの内部にはまるで博物館のように魅力的なボトルが並び、彩色鮮やかな陶器ボトル、宝石のようなガラス細工ボトル、稀少な記念ボトル、五糧液ファンには垂涎ものの酒瓶が輝いています。

さらに、それらは購入することもできるのです。とはいえ、数千元のものはもちろん、今の私には数百元の白酒でもなかなか手が出ません。

 

 

しかしこの体験館がよいのは、高級酒だけではなく手頃な価格帯のものや廉価品、またそれだけではなく高級酒もお土産にできるような小瓶が売られていることです。しかも意匠を凝らした化粧箱なども揃っており目移り、それはそれで迷ってしまい困るのですが。

 

 

結局、迷いに迷い選んだのはこちらの四種。

 

・五糧液(52度)50ml 139元(右上)

・五糧特麹(52度)100ml 40元(右下)

・五糧液 低酒度(35度)50ml  80元(左下)

・舒醺チョコレートウイスキー梅酒(10度)375ml 50元(左上)

 

興味深いのは、新しく生み出された低酒度タイプとチョコレートウイスキー梅酒でしょうか。

高いアルコール度数が魅力となる白酒ですから老舗酒造でこのような低い度数のものが開発されたのは目から鱗でしたし、またチョコレートウイスキー梅酒にはまずその名に混乱しました。見てみれば、梅酒に白酒、ウイスキー、チョコレートをブレンドしたもののよう。さて一体どんな味わいなのでしょうか。

 

五糧液といえばもちろん白酒が看板商品ですが、実は他にもワイン、梅酒、果実酒なども開発しているのです。中国では若者の酒離れが見られ、そんな中で旧来のスタイルに固執せず大衆に受け入れられるような酒文化を目指そうと開発を試みている姿が、そんなところからも伝わってきます。

 

 

酒に合う宜賓料理「南瓜田鶏」を食べる

酒が旨いところには決まって旨いメシがある。その地に育まれた美酒には、必ず決まってそのお酒に合う美食があるものです。となれば、宜賓料理。

 

午前中から歩き回った五糧液の散策でしたが、宜賓の街も夜を迎え灯りがともり出しました。美酒といえば、そこには美食があってこそ。せっかく手に入れた五糧液ですので、それを手に宜賓グルメを味わいましょう。

では何を、といえば昨今四川外でも人気が高まっているのは宜賓焼烤や宜賓燃麺ですが、なぜか余りよそに知られていない宜賓名物があるのです。

 

 

それは、南瓜田鶏。田鶏はカエルを指しまして、これはカエルを主役にした大皿料理です。

馴染みのお店に足を運び小サイズを注文したところ、意外なことに黄色ながら日本のカボチャに食感が近いもので調理されて出てきました。が、本来は南瓜田鶏に使われる「南瓜」は一般に日本でいわれるカボチャとは全く異なり、こちらで嫩南瓜と呼ばれるもの。いわゆるズッキーニの仲間ですが、カボチャというよりは瓜に近い食感です。

この料理の主役はカエルだけではない。カエルと嫩南瓜が手を繋いだ絶品なのです。

 

見た目にはそう辛いようには見えませんが、これが激辛。また油たっぷりですので、いつまでも熱々。熱さと辛さに慌てながらいただきます。

しかしこれが、辛いながらに旨みが強いのです。使用する調味料はよく見る四川料理と似たり寄ったりだというのに、大量の生姜が決め手かどうなのか、どうも他の四川料理にはない味わいがあります。

 

千切生姜の山から次々と掘り起こされるカエルにかぶりつきながら、しかし今夜の主役は五糧液でした。

高級ラベルの50mlをすぐに開けてしまうのは惜しく、選んだのは五糧特麹。くいっといただけば、ほのかな刺激とともに口内に広がるのは爽やかな風味。クセなく飲みやすく感じるのはその香りのおかげでしょうか。あっという間に小瓶は空に。

 

 

最後に

長江の街、宜賓。この街はお酒と共に時代を歩んできました。

いつの時も人々のすぐそばにはお酒があり、五糧液があり。お酒を生み出す人がいて、またお酒を楽しむ人がいます。この街にお酒を愛する人が多いのは、あるいは我が街を愛する一つの表情かもしれません。

お酒を作るのが人の手ならば、それを楽しむのもまた人。この街にはその両方が合わせ揃うのです。

 

お酒を華にするか毒にするかは、人次第です。今、お酒には様々に賛否両論が飛び交う時代となりましたが、お酒がもし厭われるのならばそれはそれを毒とする人がいるからでしょう。お酒がもし喜ばれるのならばそれはそれを華とする人がいるからでしょう。そう考えれば、お酒は人を映す鏡のようなものかもしれません。

 

けれども最後に一つ申し上げたいのは、厭われることもある白酒はみな、職人や労働者一人ひとりの手によって汗流して作られた作品だということです。

彼らはまた、人を苦しませるためにそれらを作っているわけではありません。生み出された白酒は、それを喜ぶ人のもとへ届いてこそ銘酒となるのです。

 

~アクセス情報~

五糧液生態園区

宜賓市翠屏区岷江西路150号

開放時間 8時~18時

 

五糧液文化体験館

宜賓市翠屏区冠英古街5号院

営業時間 10時~22時

 

四姐南瓜田鶏202店

宜賓市叙州区戎州路西段2附9、10号

営業時間 16時半~翌2時半

南瓜田鶏 小/130元、大/150元

 

 

 

 

 

 

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中川正道
中川正道、1978年島根県生まれ。四川師範大学にて留学。四年間四川省に滞在し、四川料理の魅力にはまる。2012年にドイツへ移住。0からWEBデザインを勉強し、フリーのデザイナーとしてドイツで起業。2017年に日本へ帰国。「人生の時を色どる体験をつくる」をテーマに妻の中川チカと時色 TOKiiRO 株式会社を設立。
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