中国の鉄道の魅力
あらかじめ申し上げておきますと、私には鉄道に関する知識がまったくございません。ですが、中国にはこのような素人さえ魅入られてしまう鉄道風景が溢れておりまして、街や山に小さな線路を見つけてはその行く先を想像し、また古い駅舎と出会ってはそこに刻まれた時の積み重ねを思い、気がつけばいつのまにか、鉄道のそばに営まれる暮らしを垣間見るのが旅の楽しみのひとつとなっておりました。
宜賓旧市街にある「鉄道巷」
そんな私にとって、「鉄道巷」と呼ばれる小径はなんともいえないミステリアスな魅惑を放っていました。そう、そんな名をもつ路地があるのです。それは宜賓市旧市街の片隅、今なお活気ある界隈でありながらも、表からは目につかない死角のようなところに隠れています。
しかし本日の鉄道散策はここから。もう間もなく長江へと名を変える金沙江の終わり、そこに架かるのは金沙江鉄路大橋です。
金沙江鉄路大橋の高架下にはもともと小さな店が窮屈に肩を寄せ合いながら商いをしており、混沌としながら力強いエネルギーを感じる中国らしい風景がそこにはありました。ところがそれらが一斉撤去されこのように整備されたのは今年に入ってからのことで、いま橋脚には中国鉄道の歴史を伝えるペイントが施され、かつて店が雑多に寄せていた場所には芝が植わっています。
1956年、国内で初めてとなる勝利型客運蒸気機関車の試作──時速110㎞。
1958年、国産として初めての電気式内燃機関車、巨龍号の試作。
1959年、国内で初めてとなる液体式内燃機関車、衛星号の試作。
1970年、試作が始まった四軸幹線客運内燃機関車、北京号──最高時速120㎞。
などなどと続き、歴史紹介は現代の高速鉄道やリニアモーターカーにまで及びます。
線路は頭のすぐ上にのび、その先は金沙江。迫力ある鉄橋がもう目の前に迫っていました。
この街に架かる橋でもっとも歴史古いのは、この金沙江鉄路大橋から街を挟み北側に架かる岷江鉄路大橋で1958年落成。こちらの金沙江鉄路大橋はそれから十年後の1968年に落成となりました。一方でいま車の往来激しい岷江大橋は1973年、南門大橋は1990年に完成しておりますから、大河に挟まれたこの街に刻まれる橋の歴史は鉄道橋から始まったことがわかります。
ところで、この金沙江鉄路大橋の左右には歩道が通っているのです。
橋の建設が叶うまでは船が庶民の足でした。たとえすぐそこでも船がなければ難しい、そんな時代に歩道を備えたこの鉄道橋は市民にとって大切な交通手段であり、金沙江両岸の行き来を叶えるものとして重宝されたそうです。
南門大橋が架かり、中壩大橋が架かり、そして戎州大橋が架かり……、今もまだ新たな橋の建設は続きます。しかしそんな現代にあり、この金沙江鉄路大橋は今もなお往来する人が尽きません。
やってきました。
橋の向こうからを期待していましたが、汽笛は背後から。振り返れば、旧市街を抜けてこちらを目指す東方4型の滑らかなシルエットが迫りくるところでした。この深い緑色を私は勝手に「緑頭」と呼んでいましたが、鉄道愛好家の方から「緑亀」という呼び名を教えていただきました。緑亀がやってきたのです。
この線路は宜賓市と宜賓市洪県を繋ぐ貨物列車が通るものです。洪県は山と山の隙間を探すように家屋が立つ小さな街で、そこで採掘された石炭を運ぶためにこの宜洪線が敷設されました。今では一時間か二時間に一本ほどが通るのみですが、この長い貨物の列はいったい何を運んでいるのか、リズムを刻む車輪に耳を傾けながらそんなふうに想像する時間は、待つ甲斐のあるささやかな楽しみです。
それでは、この貨物列車がやってきた方に戻りましょう。
旧市街を散策
鉄道の歴史を伝える橋脚はそのまま旧市街の中心部、人民公園に進入していきます。そしてなんと、住民が憩いの場として集まる公園の頭上を抜けていくのです。
線路の下には池が広がり、住民がボートで遊んでいます。その池を遊歩道が囲み、散歩する人にダンスする人、そこには四川でお決まりの庶民茶館が二、三十軒と集まり、お茶や麻雀を楽しむ人も。ということで私も線路に臨む一席に腰かけ、そこで次の貨物列車を待つことにしました。
つい先日まで暖かかったこの街も一転して突如寒風を迎え、すでに手足はかじかみ感覚を失っています。それを溶かしてくれるこのわずか五元の緑茶がどれだけありがたかったことか……。しかしそれにしても、そんな寒気の中でヒーターをつけながら屋外でわいわい麻雀を楽しむこの街の人々は、なんとたくましいのでしょうか。
待ちくたびれた頃、とうとうやってきました。進路方向は先ほどと同じで、緑亀は旧市街から金沙江を目指し駆けていきます。
激しく汽笛を鳴らし人民公園へ進入した車列は、この辺りからややその音の勢いを弱めます。というのも、ここから先には人間侵入による危険がないため。ではここより前にはそれがあるのかといえば、それがあるのでした。
人民公園を抜けてさらに線路を追いかけていくと、その先に広がる旧市街の一端で宜洪線は四川省内江市と貴州省六盤水市とを繋ぐ内六線に交わります。
この辺りはもう線路脇に民家が並ぶような生活区で、住民が線路を道として使っているようなところ。線路のそばには野菜が植わり、帰宅する住民が荷物を背負い歩いていきます。そんな場所ですから、宜洪線だろうと内六線だろうとこの区間はしつこいほどにけたたましく汽笛が連打されるのです。
と思えば、久しぶりにやってきた線路生活区には安全のために金網柵が立てられていました。けれどもそうはいえども金網柵の中にも住宅があり、また山の麓にあり線路を横断せねば家から出られないお宅もあり、相変わらず暗黙了解の横断歩道は健在のようです。
しかし今回の散策目的は鉄道巷だったはずです。ではそれはいったいどこにあるのかといえば、私はもうその一端におりました。
古い小径「鉄道巷」を歩く
内六線と宜洪線を走る貨物列車をそれぞれ見送った後、線路に並行するように一筋隠れる路地へと一歩踏み込みます。車両が入ることのできない狭い路地を挟むのは、レンガ建築にコンクリ建築に、時代は様々なれどとにかく古い民家の並びです。
それぞれはもうすでにかなり老朽化を迎えていますが、けれども空き家は見られません。住民が軒先に腰かけていたり、天秤棒に果物を載せ売り歩いていたり、生活の気配がいつのときも充満しています。
洗濯物が干され、テレビの音が漏れ聞こえ、家畜の鶏が躍り出る。そこに不器用ながら家庭的な様子で植えられた花々が四季折々に色彩を見せ、通行人の目を楽しませてくれる。なぜなのかどうしたことなのか、この路地を歩くといつも懐かしさに胸が揺さぶられるのです。
鉄道巷は、歩いてものの数分もかからず通り抜けてしまうような小径。しかしこの街の昔から今に至るまでを知り、その移り変わりを見守ってきました。
ここに建ち並ぶ家々はもともと、鉄道関連の社宅だったようです。この先に立つ宜賓駅にもう客車はほとんど停まらず、この街にはまた新たに高速鉄道駅が生まれようとしています。古きは新しきに時代を譲り、かつての栄華はやがて衰退へと変わっていきます。
けれども今この鉄道巷はごく普通の住宅街として生き、さらにはその雰囲気に目をつけて古民家カフェまで生まれました。そんな姿を前に、美しく目に映るのは器そのものよりも人々の暮らし。その営みが生きる限り、たとえその姿が変わろうとも鉄道巷はここにあり続けるのだろうと思うのです。
旧市街といえども発展の道を進む街並み、その中にまるでひっそりと隠れているかのよう。
ここには小さな商店があり、狭い雀荘があり、名物である砂鍋火鍋を自慢する店が数店舗集まり、またすでに商いをやめた宿が四軒ほど。このようなところにこのように小さな宿が並んでいることがまた、ここが鉄道宿舎だった往時を今に伝えています。
どういったわけがあるのか知る人ぞ知る砂鍋界隈となっている鉄道巷なのですが、今晩の目当てはそれではなく、鉄道巷の片端に営まれる焼烤でした。
鉄道巷の焼烤屋
焼烤は香辛料たっぷりに焼き上げる串焼きで、中国全土で身近に愛されているもの。しかし成都でも目にする「宜賓焼烤」の四字の通り、この街はとりわけ焼烤にうるさいのです。歩けば当たるほどどこにでも目にするほどの数なのですが、一方で味付けは千差万別の様相。好みは人それぞれでみなそれぞれ行きつけがあるもの、その中で私がもっともおいしいなと思っているのがここ鉄道巷の端で商いされているこのお店なのです。
店舗は、もうほとんど人の暮らしがなくなった古いアパートの一階にあります。その目の前には先ほど散策した宜洪線が通り、人民公園からこちらに向かいカーブを描き、また線路生活域を目指していきます。この古いアパートの背後には内六線が通り、やはりこの先の線路生活域で宜洪線に出合います。
夜は更けていきながら、前からも後ろからも汽笛が鳴り響く。しかもそのうえ、すぐ目の前を車両が駆け抜けていくのです。
この晩はアパートの足下に腰かけましたが、日によっては線路の脇にもテーブルが並びます。目の前を車輪が通り抜けていくのはやや危険ながらも、他では味わえない奇妙な臨場感に包まれた特等席といえるでしょう。
スマートフォンでさくさく注文、というのが当たり前になった現代。このように便箋を渡され注文を書き込んでいくのもまた魅力のひとつです。
私が選んだのは、牛肉十本、腰花(豚の腎臓)十本、鶏尾(ぼんじり)十本、掌中宝(鶏軟骨)十本、宜賓では把把焼といい束ごとに注文する形式が一般的なのです。それに加えて単品で注文したのは、蛙串とウズラ。四川は蛙を好む地域であり、焼烤もまた例外ではありません。しかしどこにでもある定番串メニューかというとそうでもないのです。ということで、蛙を二本。ウズラの方は、焼烤定番のウズラの卵かと思えばこれがウズラまるまる一羽のことで、焼き上げたそれをざっくりと切り分けてくれます。
(蛙の串焼き)
(ウズラの丸焼き)
スパイスがよく効いた四川の焼烤はたしかにそれなりに辛いものですが、しかし辛さ以外の風味がどれだけバランスよく活きているかが店の勝負所のように思います。旨辛い串をさらに唐辛子粉につけて。しかし私が気に入っているのは落花生粉で、粉チーズのような風合いをした落花生粉は辛さや塩辛さといった刺激をマイルドに仕上げてくれるのです。
ウズラのぎゅっと引き締まった食感、蛙肉の滑らかさ、鶏軟骨の噛み応え、独特の食感がやみつきになる腰花、ささやかなごちそうはすぐ目の前を駆け抜けていく汽笛とともに夜宵をぜいたくに彩り、徐々に賑わいを増していく鉄道巷の夜に心も身体も酔いしれます。
鉄道巷、そんな名をもつ路地があるのです。
けれどもそこには撮り鉄が集まるような希少列車はありません。鉄道を記念するような観光地があるわけでもありません。特別めずらしい歴史があるわけでもありません。
そこにはただ、鉄道のそばに生きてきた人々の暮らしが営まれている。ただそれだけ、宜賓市の鉄道巷はそういったところです。
~店舗情報~
巷子深焼烤
宜賓市翠屏区鉄道巷22号
営業時間 18時~翌1時
牛肉、腰花、鶏皮、鴨舌、手羽など 10元~20元/10本、蛙、豚足、排骨、ウズラなど 8元~50元/個
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中川正道、1978年島根県生まれ。四川師範大学にて留学。四年間四川省に滞在し、四川料理の魅力にはまる。2012年にドイツへ移住。0からWEBデザインを勉強し、フリーのデザイナーとしてドイツで起業。2017年に日本へ帰国。「人生の時を色どる体験をつくる」をテーマに妻の中川チカと時色 TOKiiRO 株式会社を設立。
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